|
俳優として演技を極めたなら、一度は映画監督になることを夢見るのかもしれない。しかし、名だたる俳優がすべからく傑作を撮ることができるほど、映画の世界は甘くない。だからこそ、初監督作品として『ハント』(9月29日公開)を完成させたイ・ジョンジェには、心から感嘆させられる。激動の韓国近現代史を舞台に政治性を存分に感じさせながらも、人間の信念、そして未来への希望まで語りうる、上質で骨太のエンターテイメント映画だからだ。
記念すべき監督デビュー作と共に来日したイ・ジョンジェに、インタビューする幸運に恵まれた。現在「イカゲーム」シーズン2の撮影中で多忙なはずだが、撮影チームに頼み込み、なんと2日間だけ日本のファンへ会いに来てくれたのだ。弾丸スケジュールにもかかわらず、情熱的に質問へ答えてくれたイ・ジョンジェ。キャリアを重ねていく映画人としての横顔と誠実な人柄さ、そして盟友チョン・ウソンへの愛情に触れるひとときだった。
■映画監督デビューは想定外だった?『南山』が『ハント』になるまで
国家安全企画部で働く海外次長のパク・ピョンホ(イ・ジョンジェ)と、国内次長のキム・ジョンド(チョン・ウソン)は、組織内のスパイを捜しだす任務を任される。2人は互いに譲り合わないままそれぞれ捜査を開始するも、なかなかスパイを見つけ出すことができない。緊迫した事件が相次ぐなか、次第に自分たちもが疑われるかもしれない状況へ追い込まれていくピョンホとジョンドは、ある重大な企みを知り、岐路に立たされる。
『若い男』(94)でデビューして以来、イ・ジョンジェは数々の名作に出演し、常にベストアクトを更新し続けてきた。念願の映画監督デビューかと思いきや、本人は「これまでは、監督として映画にかかわりたいと思ったことはなかった」と語る。
「韓国では、監督本人がシナリオを書くのが一般的なんですが、自分の能力ではないと思ったので、一度もチャレンジしていなかったんです。ただ、撮影現場での経験はとても多いのでプロデュースはできるな、と思いました」。
こうして、まだ『南山』というタイトルであった本作の初稿を買うことになったが、コンセプトは悪くなかったものの、問題が山積みだった。
「初稿は自分が考えているテーマと少し方向性が違ったり、商業映画らしくないところがあったりしたので、まずシナリオの内容をほぼ全て変えなければなりませんでした。そして製作費の問題もありました。私が費用を出せるかどうか心配だったんです。周りに相談すると、かなり完成まで時間がかかりそうと言われて、“時間がかかるのは嫌だな”と思ったんですが(笑)。“まあ、なんとか上手く行くだろう”と軽く考えて取りかかりました。ところが、どの映画監督や脚本家の方々に頼んでも、“直すのが難しい”と断られてしまいました。“なにがそんなに難しいのかな?”といざ自分が直し始めたら、本当に難しいんですよ(苦笑)!」
ピョンホとジョンドという2人のキャラクター設定も見直された。元々、イ・ジョンジェ扮するピョンホだけが主人公だったが、イ・ジョンジェはより膨らみあるストーリーを追求しながらも、娯楽性や興行といった、ベテラン映画人ならではのシビアな目線で脚本を再考していく。もちろん最も重要だったのは、チョン・ウソンへの尊敬だった。
「どうしてもチョン・ウソンさんと一緒にやりたかったんですが、友達に対して助演をやってほしいだなんて、言えませんよね。だからチョン・ウソンさんが担うキャラクターの分量を増やすことに尽力しました。W主演の映画は、2人のバランスを合わせなければならずとても難しいです。どちらか一人が見栄え良くなってしまったら、W主演の意味がないですから。心理描写も調和させないといけませんし、アクションのかっこよさもバランスを取らなければいけませんでした。最近の映画では、新鮮味や娯楽性、メッセージ性も大事ですよね。ビッグバジェット作品でもありますから、観客の皆さんがどのくらい来て下さるかも重要。それらを2時間以内に収めてシナリオにするなんて、簡単なことではなかったです」
■英題『HUNT』に隠された深い意味とは?
シナリオを大幅に修正したことにより、イ・ジョンジェは『南山』という仮題を変えることにした。書きながら新たな題名に悩んでいた時、『HUNT』がピョンホにもジョンドにも似合うと思いついたのだった。
お気づきの方もいるだろうが、本作の英題『HUNT』は、“N”のスペルが逆向きになっている。この意匠はイ・ジョンジェが自ら考案しデザイナーに依頼したというだけあり、強いこだわりがうかがえる。1983年のワシントンを舞台に、ピョンホとジョンドらがテロ犯と銃撃戦を繰り広げる映画のオープニング。狙撃兵の処遇をめぐり激しく言い争う2人のバックで流れる緊迫した劇伴とともに、『HUNT』のタイトルが印象深くスクリーンに浮かぶ。よく見ると、“N”は中央の斜線が失われている。
「それぞれの縦の線はピョンホとジョンドを示しています。互いに向かい合っているようであり、また前を向いているようでもありますね。さらにシャープな音楽が盛り上げると同時に、“N”の斜線が書き込まれていくんですが、そのしびれるようなリズムとかも、すべて私のアイデアでした」。
「HUNT」の文字に隠されたモチーフは、ストーリーの重要な核となる。国家安全企画部で、スパイ疑惑をかけられたピョンホが取り調べを受けるシーンなど、映画の中ではあらゆる場面にピョンホとジョンドを切り返しで見せたり、鏡やガラスに顔を写せたりするショットがある。お互い向き合っているように見えて、実は同じ方向に眼差しを送っている。具体的なシーンだけではなく、デザインにもメッセージを込めたセンスに唸らされる。
■ディテールにこだわり抜いて作り上げられた迫真のシーン「偽物に見えるのは嫌だった」
映画の現場に精通したイ・ジョンジェの手腕を以てしても、脚本作業は困難の連続だった。ストーリーの根幹となるピョンホとジョンドが勤務して国内外の保安情報の収集や国家機密保持などを司る情報機関として1980年代に権勢を振るい、“影の権力”と恐れられた国家安全企画部(現在の国家情報院)の当時の資料をすべて調査しなければならなかった。
『ハント』の演出やストーリーは、細部に至るまでリアリティが追求されている。イ・ジョンジェは「リアルな映画がとても好きなので、自分が作るものはよりリアルにしたかった」と明かし、真実に見せるために重要な要素として、内容、美術、時代の雰囲気への理解と、現実感のある再現、そして俳優の演技を挙げた。特に安全企画部の描写には、特に神経を使った。
「要員たちが本当に言いそうなセリフを書くのが難しかったです。とても短くて含蓄とインパクトがあり、個人的に気に入っています。安全企画部のシーンについては、実際にあり得る状況を再現するのに悩みました。例えば当時は携帯電話があったのかどうかを調査してみると、一般人はそもそもあることも知らなかった。一方、安全企画部の人たちは所有していたんです。また、1989年代当時に安全企画部に在籍していた方にも会いました。10回くらい、質問をお渡ししてインタビューを続けて、すべてシナリオに書き加えたんです。歴史とフィクションが混ざり合って、観客が“どれが本物?”と感じられるものにしたかったのです。映画の中盤くらいで、ふとこれまでのシーンを振り返るとすべてが本物のように見える。それを目指しました」。
『ハント』を力強い映画にしている要素が、スピーディで重厚なアクションシーンだ。銃撃シーンでは、銃弾が落ちたら俳優には銃を捨ててもらい、弾倉を変えさせた。さらに驚くべきなのは、撃ち放たれる拳銃や機関銃の銃弾の数まで数えて、装弾数のリアリティを保持していたことだ。
「偽物のように見えるのがとても嫌だったんです。例えば爆発シーンでは、普通は爆弾をこっそり隠してしまい、割ったら火が出ないようにします。でもハリウッド映画なら、爆発したら真っ赤な火が出ますよね。インパクトを与えようとガソリンを入れるんです。なので『ハント』も視覚的にもっと強烈に見せたかったのです。ガソリンを一回全部抜いて実際の爆弾を爆発させると、少しパッと明るくなり、埃が溢れてくるんですよね。爆発シーンだけを30年間、専門的に従事してきた方が手掛けてくださいました」。
■20年変わらぬチョン・ウソンとの信頼関係
最後に、『ハント』のもう一人の主役、20数年来の無二の親友であるチョン・ウソンについて聞いてみた。開口一番、「友達ですから、私よりもこの人をもっと気遣ってあげたい」と口にする絆に、改めて胸が熱くなる。
「観客の皆さんにジョンドというキャラクターを好きになってもらえるよう、ジョンドの性格や人生、ビジュアルについては悩みました。そんな悩みは、私があえて口にしなくても、現場で撮影をするチョン・ウソンさんは全部わかってくれていると気づきました。なぜなら、一日や二日で生まれた悩みではないことを、彼本人も分かっているから。たくさん悩んだ末に決めた私のディレクションには、なにも言わずに従ってくれました。実は『ハント』は、編集が終わっても彼には見せませんでした。私が“ジョンドは絶対かっこよくなければならない”と自信があったから、あえて見せなかったんです。チョン・ウソンさんも、気になるでしょうけど“なんで見せないの?”とは聞かなかったんですよね。カンヌ国際映画祭で披露した時、“ジョンドかっこいい!”“チョン・ウソンかっこいい!”と称賛されて、うれしかったです」。
取材・文/荒井 南
(出典 news.nicovideo.jp)
コメント
コメントする